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想ふこと ---「朱霊たち」パーソナルメモから解題へ ---



平成14年(2002)は前妻の縊死という悲惨なかたちで始まった。1月15日に帰仏して10日後のことだった。前妻は私がアテネから出したロバの絵のついた葉書を読むことなくあの世へ逝ってしまったのだ。不幸中の幸いと言うべきだろうか、前の年11月に帰国して前妻の病気が発覚して以来60日間、私は絶えず前妻と一緒にいることが出来た。こんなことは13年前に離婚してから初めてのことだった。前妻は私と所帯を持っていた時分、自分の芸道に自信を持てなかった私を絶えず励まし心の支えになってくれた。そんな前妻をひとりになりたいという自分のわがままから放りだし、以来不明なままの友人関係を保ってきた(私たちではなく)私には前妻の縊死は私への無言の抗議のようにも取れた。

ショックと自失感はあったものの前妻の死後2ヶ月が静かに経った。私は前妻の死を看取れなかった代わりにノルマンディの自宅の庭にカエデを1本植えた。いつも見守れいつも見守られていられるようにと。そんな或る晩のこと、正確には3月19日のことだった、私はパソコンで「追悼歌集」なるものを編んでいた。歌集とは言っても歌の体裁はとらず、思いつくままに妻への想い、記憶を書き付けていた。たちどころに15余りの歌が出来た。そのときだった。私はあらん限りの声を出して泣き出してしまったのだ。ひょっとしたらあの田舎の人里離れた家屋の中だからこそ自分にそれを許したのかも知れない。よくもまあこんなにたくさんの涙がからだの中に溜まっているものだと泣きながら驚いた。顔が曲がるほど泣いた。それは4,50分も続いたかも知れない。

数日経ってから私は泣いたことの意味を考え始めた。哀惜、後悔、ざんげ(陳謝)、自責、その全てだったろう。けれど前妻の死は決定的なことを自分に知らせてくれた。もう2度と再び彼女にまみえることがないという事実である。即ち生と隣り合っているものでありながらいつも何処かで自分が回避してきた‘死’の側に逝ってしまったことで、彼女はモノになってしまったということだ。そしてこの個別なモノもいつしか消滅してより広大なモノへと吸収される。それが死ぬということだ。この感覚は20年前に敬愛していた父が死んだ時にも持てなかったものだ。

それから不思議なことに突然1年ほど構想のまま放っておいた映画のスクリプトを約2週間で一気に書き上げた。その集中力が何処から来たのかはわからない。ともかくありとあらゆる場所で書き続けた。3月末、仕事でローマからアンコーナ行きの列車に乗ったとき、スクリプトに夢中になって下車を忘れていた私はアンコーナで列車が出発する直前、それこそ裸足でリュックも靴も靴下も原稿も自分のからだも一緒こたんにホームに投げ出したほどである。


昭和27年(1952)東京。
空から撒かれたビラを追って不思議な館にたどり着いた少年の夢と現実が織り成すドラマ。そこには陽射しに当たることの出来ない難病を持った人々が幽閉されるように暮らしている。ケモノのヒズメの手を持って生まれ、見世物として口で文字を書く事を生業(なりわい)としてきた通称「ヒズメ」、お女郎でありながら心中未遂して心と体に傷を持つ女ネアン、そして話せず聴こえず歩くことも出来ぬ年齢不詳の女マリア。そして今朝縊死したばかりのカケラである。彼らは一日でも早い死を願って行政による「ガス放出」の日を待っている。彼らを監視するのが特攻帰りの男ヒノマルだが、戦争で死ねなかった無念と死んでいった仲間への哀惜とで自身もひたすら死を祈願している。そんな日に少年が館に舞い込み、その翌日、行政からガス放出の連絡が来る。死ぬことの出来る喜びも束の間、たとえヒノマルが前年冬に館から脱走・ 陽光死したマスキヨに成り代わりおおせても、行政の指定する「生きる者5名」という条件に1人満たない。なぜなら自死したカケラをヒノマルが館の中にある道穴に放り込んでしまったからだ。噂によるとこの穴は日本堤(通称山谷)まで通じていると言う。生きる者5名という条件を満たす為には死んでいるカケラを捜しに行かねばならない。死にたい人間たちの最後の「生き様」が始まる------。


最初にイメージされたキャラクターは通称ヒノマルという「行かず特攻」の青年である。私は恐らく自分の(前妻への)想いを彼に重ねたのだと思う。死ななくてよい人が死に、あとに残された者は自分が死ぬことで何とか自身のバランスを取りたいと願う。あるいはそれでも生きなければならないとしたら死んだ気で生きるほかないというのがこの男なのだ。
まったく偶然だが何度も書き直ししてやっと最終と思われる第5版スクリプトを書き上げたこの11月、パリの鈴木清順特集で「肉体の門」を見た。既に過去に2回見ていてこれまで特に強い印象を持てなかったのに今回は大きな収穫が2つあった。(映画はえてしてこうしたことがある。)一つは自分がスクリプトに選んだ昭和27年(1952)という年が日本にとってかけがえのない数年の内の1年だったということ。よく言われることだが幼年期の記憶は珠玉の記憶となるというがそれだけでなく、確かに私が7歳のときに見た戦後7年目の東京の空や夕焼け、人々の笑い、たくましさは大袈裟に言えば‘人の命の宝庫’だったような気がする。今あのような空や顔には出会えないからだ。今ひとつは宍戸錠が娼婦のねぐらで戦友の遺書、遺文の書きつけられた日の丸をかぶって泣くシーンだ。自分が泣くだろうなと思っていたら案の定私はとめどもなく涙を流してしまった。これが自分のスクリプトに現れたヒノマル像でもあったのだ。
しかしヒノマル像はそれだけではない。制度的にあてがわれた死の契機を行政の死の管理者から死ぬ者たちの手に奪還するという決定的なドラマの立役者となるのである。

ヒノマルが他者の死に接した側の反応を示すキャラクターだとしたら縊死したカケラ、自死覚悟で脱走して陽光でいわば焼身自殺したマスキヨは死ぬ側の意志を現した2つのキャラクターである。とは言え密室での縊死と脱走―焼身とでは意味が違ってくる。密室での縊死が自身の選択でなされたものだとしてもそれがひそやかな鋭意であるのに対して、脱走―焼身は挑発的で挑戦的な自爆行為である。制度の側(制度といっても国家や社会のみならず個々人おのおのの中にも制度があることを忘れてはいけない)にとっては手痛い一撃となる。それでいて両者に共通なのはモノとして、生きている側に徹底的に死の存在を突きつけるということである。
カケラの縊死の状況は前妻の死に相似するが実は何年も前に書いた舞踊台本「聖家(サンクチュアリ)」3部作の第一作「をみなにて」で冒頭縊死する女を私は既に描いている。ちなみにその第2作「振りさけ見れば」ではベルゲン・ベルゼンの収容所を脱走するマスキヨと同じキャラクターが書かれている。ともかく自死はその良悪の課題や意志的、発作的の区別を超えて、自分の死を自分で選ぶという意味において少なくとも生の死への移行を自身のなかで成し遂げている‘命のかたち’であることを日常死に対して片目をつぶっている私たちはもう一度確認しなければならない。

一方、ネアン、ヒズメの二人は(それぞれの個性と過去が全く違うとしても)自死という手段を取らない或いは取れない弱い、当たり前の人たちである。その意味で我々一般の意識に近い。死についての我々一般の持つ意識とは、生の次に来る死という現実に何とか眼をつぶりながら生きて続けて、何とか上手く手際良く‘死におおせる’ということではないだろうか。安楽死や衰弱死がそれに当たるのだろう。それらは一方でとても恵まれた死でありながらもう一方では命のモノへの厳粛な移行を自身で看取れないという課題がある。そしてここに(死の認識を当事者やその周辺、社会国家も回避したがるという共通点において)国家や社会の制度が死に介入してくるという口実と権利を与える。すなわち死を制度が管理することでそれがそのまま生活や生の管理にも及びかねないということだ。
実のところ、この議論はとても難しい。それの何が悪いのだという言い方もあるであろう。議論の困難を承知であえて私がこの問題を避けて通れないのは、自分の中にしっかりとした死の認識を持つということは生きていることの中に死を巻き込むこと、それによっておそらく生そのものが全く変ってくるだろうという‘予感’があるからだ。言い換えれば死を生の中に取り込むという考え方は社会体制や社会制度次元の変革ではなく、真の意味の人間変革(革命)になるということだ。
私はこの33年間、演劇―舞踊―映画―と変遷しながらも一貫して考えてきたことは生の中の死、死を前提して生を考えてきたということだ。ヒノマルが冒頭で台詞としてしゃべるテキスト「装束は水」も自分が踊る為の覚書として1987年に書いたものだが、その末尾近くには「死をあえて生きてみせる生命そのものの技術」と書かれている。これは私にとって踊るための方法であり、生きるための方法でもあるのだ。話しはずれるが、もし幸いにもこの映画が完成し、まだ自分に力が残されているなら私は私家版「革命家辞典」を最後に書きたいと思っている。ここには恐らくマルクスもレーニンも毛沢東も出てこない。なぜなら革命とは文字通り命を変革することで、それに力を注いだどちらかといえば無名の人々こそが私にとっては真の意味での革命家だからだ(何故無名かと言えばそのような人たちを拒否するように絶えず制度が廻っていてその制度が世に言う歴史や文化をつくっているからだ)。10何年か前に作家と称する人と話していて私が「からだが変らなければ世の中も変らない」と言ったら彼に一笑に伏された。ことば足らずであったことは否めないけれど、私が言いたかったからだとは「死を隣人として生の中に住まう者」のことなのである。
ともかくネアンとヒズメは私たち大多数の生きる意識を代表するものだが、大切なことは何気ない少年との対話や「なりゆき」に従って彼ら2人の生きることと死ぬことの意識が次第に変転してゆき、先にヒノマルの項でも述べたように遂には管理された自らの死を自分たちの手にもぎ取っていくのである。

最後にマリアのキャラクターについて話さなければならない。恐らくマリアひとりだけが生の中にある死の意味を知っているのだろうと思う。知っているということはマリアは一(いち)キャラクターではなく私の考える「概念としての存在」であるといってもいい。すなわち死を封殺した社会や私たちの制度的な意識に対して「不死身」をもって絶えず生の中に死を突きつける者がマリアなのである。この不死身のマリアが何処から出てきたのかと言うとひょっとしたら自宅ノルマンディの庭先に何年も前から枯れ死したまま立っている老いたリンゴの木の性かも知れない。死しても立ち尽くすということほど生きる者を恐怖させ警鐘をもたらすものはない。古くは武蔵坊弁慶の衣川での死の立ち尽くしから始まってたくさんの立ち尽くした死者がいる。そのたびに私は感動と畏怖を感じるのだ。 スクリプトでは館の中で3重のハンディ(歩、聴、話)を背負うマリアと、少年の幻想(?)の中のハンディ無しのマリアとが現れる。従ってヒズメたち館の住人が理解する聖母マリア的な意味のマリア像とはこの世のマリアであって、それとは全く別な‘存在のマグマ’とでも言うべき、善悪やモラルや美醜を超えたトータルな存在こそがマリアの総体なのである。言い換えれば判断や価値や基準を与えるのではなく、宇宙のありとあらゆる始原(はじまりであると共にことごときもの)を開いて見せる存在がマリアなのだ。宗教ではなく、宗教に準じた信仰でもなく、全く個的な、安易な融合や調和を拒否した正確な意味で無機的な「祈り」、それがマリアであるというべきだろうか。
「祈り」という言葉が出たところでスクリプトに沿ってマリアに関して2つのことを指摘しておきたい。ひとつは「祈りと呪い」の問題である。幻想の海辺で館の住人たちに出会って戸惑う少年にヒズメがこの出会いが夢でない証拠に何か文字を書いてあげようと言う。結局マリアが提案した「祈り・呪い」をビラの裏に書いてもらうのだがそのとき少年の質問に対してマリアは「祈りも呪いも同じものであり、共にそれは‘与えられた生命を与え返すための明白な装置’である」と答える。存在のマグマとしてのマリアにとっては祈りと呪いという一見正反対のものが「与えられた生命を与え返す」という透徹したエネルギーとしては同じものなのである。生命の課題はその黒白ではなく、むしろ何処まで徹して与え返すことが出来るかということのようである。
今ひとつは「カタチとココロ」の課題である。これはやはり死の課題、もしくは死を巻き込んだ生の課題を踊り、もしくはからだの問題として考えてみたのだ。同じ幻想の浜辺で汲みあげたばかりの水をヒズメの手にかけるマリアがいる。何故マリアがここでは歩けて話せて聴くことが出来るのかと問う少年にマリアはこう答える「この世の中ではいつもココロとカタチとがバラバラである。けれどカタチとココロが一致すれば不可能が可能となって歩き、話し、聴けるのだ」と。つまりそれらが一つになれば真の生活、真の踊りが始まるのだが死を巻き込もうとしないばかりか、むしろ遠ざけようとする生ではますます制度が台頭してきて、カタチとココロの分断や乖離が起こってくるのである。

最後の最後に、では少年とは何かということだが一言でいえばこの解答の出ない生命と生活の実態に参加し、また注意深く観察もし、願うことならこれからのヒトの未来を開くための一人、あるいは少なくとも語り部になってほしいという存在なのである。ひとり少年だけが死から生還する意味はそこにある。


(2002年12月3日 ペロティエにて 岩名雅記)



<解題付録1.「日本」論>


この映画は日本を背景に日本人によって日本語で語られる。その意味では日本映画ではあるが同時に撮影は主にヨーロッパで行われ、クリューの大半はヨーロッパ人となるであろう。岩名が日欧で活動しているというその便宜的な意味以上の意味がここで問われるべきである。それは日本を遥か遠くに見て日本と「日本」を知ることだと思う。この映画には「日本」への深い憧憬が込められているのだ。
ここでいう日本と「日本」の間には語り尽くせぬ距離があり、50歳台末の岩名の世代はそれを体験として知っている。より正確に言えばここでいう「日本」とは第二次大戦後の数年、日本が敗戦の混乱の中から起ちあがった黎明の時であり、社会や制度から逸脱せざるを得なかったヒトびとを観察できた稀にして至上の時でもあったのだ。
よく言われることだが、今の日本には「日本」はないと言われる。では「日本」は何処で見つけられるのか。少なくともひとつは過去の中に見出すということが最も直接的であろう。だが無論過去は今それを手にすることは出来ない。残された記録や人々の記憶、追憶の中だけにある。言い換えれば非常に平面的で(記録)個人的(記憶)ともいえる。けれど過去への追想も個々人の中だけでなく人々に共有されればある程度までは一つの力となり、郷愁という情感を濾過して本質的な部分が浮上してくる。更に視覚化されれば一つのメッセージとなる。この過去への遡行は決定的ではないにせよ、ひとつの力になることは確かであり「日本」を映画化することの一つの意味はそこにある。

さて「日本」を見出す為のより積極的なアプローチ、すなわち日本映画をヨーロッパで撮ることの積極的な意味を考えなければならない。「日本」を見出すために現実として時間的に遡行することが最早不可能だとしたら、空間的に見出すことの可能性がまだ残されているということだ。思いつくまま卑近な例をあげればトルコ・イスタンブールの市(いち)は戦後日本の闇市そのものだし、ローマ・フミチノ空港から市内へ至る沿線は戦後東京の原っぱそのものである。またいまだに手つくりのもので生活し、感で作業するヨーロッパ人の仕事ぶりはかつての日本そのものである。またヨーロッパ各地でいまだに見られる街の混乱と雑踏、盗みや物乞い、はたまた1日に何時間も裸足で歩き続けるインドの人々など私たちの戦後を彷彿させる例を挙げれば暇(いとま)がない。
視覚的なことだけではない、アラブ人や朝鮮人、そのほか多くの同じ民族同士の交流はかつての日本の家族や友人関係を彷彿とさせるし、東欧諸国やヨーロッパ弱小国の人々の国を興す気概は戦後日本の貧しくもあっけらかんとしたあの強さを想起させるのだ。 大切なことはヨーロッパの人々がこのような風土をいまだに抱えているというそのこと自身ではなく、そのような環境が少なからず彼らの思考や精神に影響を与えているだろうということだ。可視、不可視、有形無形の背景を背負った国際的なクリューによる、ポジティフな意味での無国籍なこの映画の製作が行われる時、「日本」が見えてくるであろうという予感は決して観念論や楽観論ではなく、舞踏家として30年を生きてきた岩名の身体的直感である。



<解題付録2.映像的主題。>


とはいえ映画であるからには映像的主題を欠くことは出来ない。それも思想的主題と別物であってはならないだろう。やはりマリアの台詞にある「ミズと同様、ヒカリやイロやオト」がこの映画の映像上の主題となる筈だ。また‘鏡’は大きなカギとなる予感がある。 ヒカリに当たることの出来ぬ難病という設定からほとんどのシーンは‘闇’を強いられる。とりわけガス室と穴の内部は‘暗黒’と言っても良い。これをどう撮るか。また技術論としてだけでなく‘闇’、喧騒の裏にあった‘静謐’や‘平静’、‘退色(あせた色)’などは戦後の「日本」そのものであった筈だ。この点については稿を改めたい。

(2002年10月28日 ナポリにて 岩名雅記)



「朱霊たち」演出覚え書き
20040301


<物語的主題>
1) ヒトのイノチは‘無(空虚)’であるという感じ方が先ず僕にはある。けれどもう一方でヒトが‘ある’(‘ないことではない’という意味で‘不具’)ということに対してもしイノチが存在に対して一矢を報いることが出来るとすれば、それは‘空虚’の限りない大肯定、つまりは‘空しさへの強さ’ではないのかとも考える。 ここではマリアという四重苦のキャラクターを通して‘慈悲’と等価な‘憎悪する力’を、ヒズメの開手という奇跡を通して‘悲惨’と等価な‘至福’を謳うことで虚無の大肯定を描く。
* マリアは現実側では美しいヒト、‘許容する’愛のヒトであり、幻想側では‘拒む’ヒト、訴えるヒト、憎悪するヒト、呪うヒトである。その境界の上に「欲望するヒト」としてのマリアがいる。欲望するということは許容なのか拒否なのか。巨大な虚無の大肯定なのか-----。
2) ヒトが死んでいくという必然、死ななければならないことからくる絶望、死にたいという願望、そして既にモノとなってしまったかばね(むくろ)等を通して‘生’を考え直し、イノチを検証する機会を得たい。
* ヒノマルは死んでいった友への哀惜から死を願望するが、おのれの性(さが)である性欲に関してはその欲望を‘否’と感じている。それを含めて自分を‘抹殺する’ことを考えている。
* ヒズメはおのれのヒズメ手のためにわが子を殺してしまったという罪悪感があり、不可能な「手を開く」という可能性にかける。
* ネアンは心中未遂という経験を持ちながらも(だからこそか)死の間際までそれを収受できない。
* マスキヨとカケラは死(正確には死ぬまでの生)を収受できないので逆に死に飛び込んだのか---。

<映画的主題>
1) 物語の幻想部分(「静止した時間」)のみならず俳優たちによる現実部分の人種、言語の錯綜や、インカネーション(生まれ変わり)などを通して物語の上での現実と幻想(夢)のゆききを描く。
2) フィクション(つくられてあるという意味で‘過去’)とそれを演じる俳優たちの存在(演技以前の‘今’といっても良い)のゆききを描く。具体的には物語りの展開とは別に俳優たちの‘今’を展開する6つの踊り部分を設定することで、a. 流れる物語をくい止め‘今’と交錯させる。b. ‘踊り’はフィクション以前の(その中に既にドラマがあるという意味で)トータルなからだであるからして新たなリアリティを作れる可能性がある。c. 実景部分と共に‘叙情’を実現する。(この部分映像的主題2)参照のこと)
3) 総じてこの映画では1)の物語の幻想(夢)部分、2)の俳優の現在(踊り)部分の2つが通底しあって物語の現実部分(物語的主題)を支え、働きかけるという構造になっている。

<映像的主題>
1) 画像=安定静止、正面画像を基本にしたい。パーン、ズーム、特別アングル、HS, オ プティカル処理は極力限定。ただしCGと合成は必須部分に使いたい。
2) カット=物語部分のダイアローグはカットバックを基本、踊り部分はワンカット、長 まわしを基本として両者を対比させる。
3)色=原則は時空を越えてモノクロである。ヒズメの回想部は黒白8ミリを使いたい。
4) マチエール=‘退色(あせた色)’を時代の色とする。木肌の冷め、壁やポスターのはがれは病いを暗示する。洞窟の‘濡れ’は女陰をも暗示する。庭やガス室ほかの室内や洞窟内の影や暗部、せっちんのまだら、ガス室の壁面、雨後の庭のドロドロ等もマークする。ほかに腐ったもの(庭・暗部実景)や焼け焦げ・破壊(ヒズメ回想部や戦後の野原)、乾き(マスキヨの落ちる池、壊死した老木)など。総じて失われたもの、見捨てられたもの、とり残されたもの、隠蔽されたもの(朱霊たち)を暗示する。
5) 自然=水(の変容:静謐、流れ、怒涛)、風(ハタメキ、マントー、海辺、チラシ)、 煙(谷、洞窟、タバコ、ガス、震災雨後)
6) モノ=階段とハシゴは細く長く狭く続く。これは洞窟、女陰を暗示。

ガス室の岩壁の形状と色、夕焼けは病いを暗示させ、ラスト、マリアポスターの病態形相へと繋げる。
7) 小物=4)に加えて、木製と紙と筆文字が基本。
8) 動き・姿勢=ハシゴと階段の登りはゆっくり、降りは駆け下り、または落ちる。

走ることと歩くことの対比。立ち尽くし(少年、ヒノマル)。不動(少年とマリア)端座とあぐらの対比。つかむ・押さえることと蹴ることの対比(ガス室終幕)。横たわる、起つ、斜めに寝る(マリアとヒズメ)。廻る(馬と螺旋階段)。吊り・浮かび(カケラ、古澤、少年、羽毛)。飲むが食べない。唄う・叫ぶ(マスキヨ、マリア)・つぶやく(ヒノマルの冒頭)。
手(ヒズメ、ネアン、マリア、少年)

以上をマークしながら物語りのモチーフならびに構図の上で伏線と繰り返しを意識する。


世界の根源へ−映画「朱霊たち」−


混乱する現代社会と生活。今どうしても根源の世界認識が必要である。それは話さず動かぬ動物や植物、鉱物や静物たち「モノの側に立つ」ことしかない。
20世紀初頭に始まった世界の変革。それは社会体制の変革として始まり、その体制の矛盾がはちきれて更なる変革と解体を呼び、それが現在では民俗同志や他民族との抗争という形で引き継がれている。たとえそれが主義主張や宗教の違い、はたまた差別という形であらわれたとしても行き着くところは富の分配に起因するのではなかろうか。富めるものが貧者を蹴落とし、貧しいものはそれに抗う。恐ろしいことは世界の政治の趨勢が「富の分配の再構築」というヒトの生活の根源に触れることなく力関係と権謀術数だけに終始、それが着々と進行していることである。ヒトの知性はまさに地に堕している。信仰は必ずやひとつの力になるはずであろうが信仰でさえ政治の手垢にまみれているのが現状である。
視点を変えてみよう。こうした富める者の傲慢と破廉恥、貧しい者の悲惨と憎悪をかたわらから静かに眺めているモノたちがいる。それは動き叫ぶことはあっても話さぬ動物たちであり、繁茂し枯れることはあっても動かぬ植物たちであり、話すことも動くこともない鉱物や静物たちである。貧富の差を越えて、健常なる人々は話せないこと動けないことを「不幸、不運」と捕らえることだろう。つまり動植鉱静物は先天的な身障者なのだ。だが果たしてそうだろうか。「話せない動けない」ことを身をもって引き受けているモノたちは実は「話さない動かない」ことで自分たちを最もゆたかにしているのではないだろうか。動物や植物や鉱静物たちにとってそこに在るということが既に彼らの行為であり言葉ではないのだろうか。
ヒトが人間社会の中でのみ通用する価値観はモノのレベルでは相対的なものでしかない。そうした価値観が脱出できぬ人間世界の泥沼を招いている。ヒトが真に世界を発見するためには、そして真の意味で幸福な生活を送るためにはとりあえず人間の視線でモノの悲惨にまで降りること、降りたならモノの視線でモノの強靭さと至福に至り、それを生きることである。そこでは既に富は(勿論ここでは物質的な富だけではないはずだ)公平に分配されているはずである。もしされていないとしたらそこには「人為」が働いている。枯れることも死することも含めて全ての‘あらわれ’は彼ら動植鉱静物の行為であり言葉であるが、その自然な行為や言葉を阻害する「公害」という人為はヒトとしての傲慢、モノたちへの欠礼である。これには必ずや天誅がくだされる。ヒトはモノの側に立ってこそ初めて真の人間世界を発見できるに違いない。
さてモノを想うときヒトのカラダというものがたち現われてくる。ここで言うカラダとは根源のカラダであり、そのときカラダとはひとつのモノである。そしてカラダを根源的に取り扱う仕種こそが踊りであり、それは舞踏と呼ばれるであろう。

(040928 東京にて、映画監督・舞踏家 岩名雅記)



今どのような映画が求められているか
劇映画「朱霊たち」の制作意図・監督岩名雅記のメッセージ


1. 映画が人々の生活とは無関係に娯楽として一人歩きする(たとえば大資本によるバーチャル映画)のではなく、楽しめる映画でありながら観客ひとりひとりが生命とは何か、人間とは何かを考え感じられる本格映画である。

2. 監督の岩名はそのために「モノの側に立つ」という大きな切り口を用意した。人間生活を傍らから静かに(動かずしゃべらず)観察するモノ(動植鉱静物)たちの視線に人々が降りてきたとき初めてヒトは生きることの豊かさを感じとれると言う岩名独特の切り口であり、それは彼の祈りでもある。

3. 映画はまず「画」である。岩名は黒白、スタンダードというもっともオーソドックスなスタイルを選んだ。黒白は意外にも「色」を最も感じさせる唯一の色調であり、その色とは現実の色ではなく、想像力を最も刺激する色である。またスタンダードは両眼でもっとも余裕をもって見られるサイズである。この画面スタイルはそのまま「ものを真っ直ぐに見る」という映画のスタイルとも繋がる。

4. この映画は社会からとり残された人々や知らなかった大人の世界を観察し、しかも事件に関わることによって自分の明日を歩み始める少年の話である。だがこれは決してきれい事や無菌の教育映画ではない。少年は大人たちの性の営みから決して眼をそむけない。大人たちも隠そうとはしない。「いやらしい」「わいせつである」という「不純」からもっとも遠くにある映画。ポルノだエロだという視線こそが定番でありわいせつなのである。

5. 映画をつくる側も性の描写を「それらしく」ではなく、「そのもの」として作る覚悟を持っている。だからこれを見る観客も自分を試されていることになるので傍観者として時間を過ごすことは許されないだろう。観客が映画を選ぶことは勿論自由だが映画を作る側も観客を選んでいることになる。偏見なしにものを見る「力」が今観客に問われているのだ。TVではないのだから自分の責任において見る映画があってもよいのではないか。

6. プロの俳優、しかも知名度のある俳優をあえて避けた。有名俳優の魅力が映画をゆたかにすることは確かだろうが、同時にそれによってドラマに先入観を与えてしまうことを避けたいのだ。ここに舞踏家という稀なる存在感のあるアーティストたちがいる。無名にして圧倒的な存在感をもつ彼らに白羽の矢を立てた。

7. 映画は六つの舞踏(オドリ)を挿入することで演じられた役と演じる人そのものが交互にドラマを引き合いながら展開していくという構造になっている。これはこれまでにないリアリティを映画に与えるとものと確信している。

8. さて舞踏だが発祥した日本ではむしろ余り知られていない。演劇界も舞踊界も舞踏を扱いにくいということなのだろうか。ところが欧米の主要都市では日本人が想像できないステータスを持っている。監督の岩名も1988年以来欧米で活動する舞踏家でその活動範囲は世界35カ国85都市に及んでいる。この映画の対象は必然的に世界マーケットである。

9. 日本を遠く離れて本質としての日本を知るという考え方で撮影は全てフランスの南ノルマンディとブルターニュで行われる。小道具ひとつでも用意に手に入らないという逆境がこの映画を野太くする。

(040929 東京にて 岩名雅記 )